2008年08月24日

水窪方言カルタ

現在、
水窪の方言でカルタを作ろうかと勝手に思っているのですが、
どなたか協力してもらえる方おりませんか?

おりましたら、
コメントください。

ラベル:水窪 方言
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2008年05月27日

高根城 日本初の山城の復元 

高根城は、旧水窪町が町おこしの一環として20年以上前から、発掘調査や歩道整備を進めた。04年には約3億円を費やしてやぐらや城門などを全面的に復元。山城での復元は全国初と評価されているという。
ということ。
記事↓
http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/20080527ddlk22040390000c.html

高根城のある山に登る人、
増えているようである。


PRして多くの人が知るところとなれば、
行ってみたい人も増えるのだろう。


ちなみに私は、
高根城のある山(地元では三角山と呼ばれる)が好きだったので、
小さいころから何度も登った。


珍しく水窪に大雪が降った次の日とかにも、あえて登ったと思うし、
高校大学と陸上部に所属していたころには、里帰りしたときにトレーニングをかねて走って登った。


山城が復元されてからも二度ほど行った。


で、何度も登って思うのだが、
復元される前の雰囲気のほうが断然いい。


古刹、
という感じがしていたから。



今は、
ただ見晴らしがいいだけ。


爽快ではあるな。


ラベル:名所 山城 水窪
posted by もり at 23:33| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 水窪名所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月06日

水窪 カタクリの里

県内有数のカタクリの群生地が広がる浜松市天竜区水窪町の「カタクリの里」で、カタクリの花が咲き始めた。淡い紫のかれんな“春の使者”が、訪れた人たちを楽しませている。
ということ。
記事↓
http://www.shizushin.com/local_west/20080404000000000024.htm

カタクリの実物を、
私はまた見たことがありません。

カタクリの里は、
西浦地区の桂山にあるようなので、
いつか行って見たいと思います。

下記にも場所が書いてあります。

http://mitchan.ojaru.jp/katakuri.html
ラベル:水窪
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2008年04月02日

マロニエの里

浜松市天竜区水窪町奥領家の「みさくぼオートキャンプ場マロニエの里」は1日、安全祈願式をして今シーズンの営業を始めた。既に大型連休中の利用予約が入っている。
ということである。
記事↓
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20080402/CK2008040202000437.html

マロニエの里
地元では、
「ナゴオのキャンプ場」です。


私はここに、
整備されて綺麗になってからは行った事ないですが、
川遊びとかもできて、
子供づれで行ったら楽しめるだろうと思います。


近辺でカブと虫採りとかも良くやりました。




ラベル:水窪
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2008年03月28日

水窪の風力発電所建設の計画

電源開発(本店東京)が浜松市天竜区の竜頭山(1、352メートル)周辺で建設を計画している国内最大規模の風力発電所について、同社は26日、着工までのスケジュールの大幅な遅れなどを理由に「2010年3月」としていた運転開始時期を延期する方針を明らかにした。

風力発電所は、同社が浜松市天竜区の春野、佐久間、水窪の3地区にまたがる竜頭山周辺のスーパー林道沿いに、40基程度の風車を設置し、計8万−10万キロワットの発電を目指す計画。地元では新たな観光資源として期待が寄せられる一方、自然破壊を心配する声もある。

ということ。
記事↓
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20080327/CK2008032702098765.html

水窪の周辺でこういう計画があったことは知りませんでした。

しかし、
山の上のほうは風が強いので、
風力発電には向いていそうだなと思ったことがありました。

山住峠の辺りとかも風邪強いですから。



ただ、
発電した電気を使う人があまりいないので、
発電した分をはるばる送電しなければならず、
ロスが大きそうな気はします。


景観云々については、
はじめは目新しいので話題になるでしょうが、
すぐに飽きられるだろうと思います。



自然環境については、
ダム建設とかよりは影響は少ないと思いますが、
山を崩したりする部分もあるでしょうから、
かなりの影響があるだろうとは思います。




いずれにしても、
メリットとデメリットを、
十分に考えないといけないでしょう。

ラベル:水窪
posted by もり at 00:26| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 水窪名所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月25日

水窪中の改築で費用支払い放置

静岡新聞には申し訳ないですが、下記長々と引用です。
参照↓
http://www.shizushin.com/local_social/20071123000000000010.htm
浜松市天竜区水窪町の市立水窪中改築の建設残土処理で、費用の支払いが1年以上放っておかれ、業者から市担当者への請求電話に上司がたまたま出て気付き、本年度の11月補正予算に処理費551万円を計上したことが22日、明らかになった。同日開かれた市教育委員会で事務局が報告し、残土置き場変更や合併で事務が煩雑だったことを説明したが、担当者については怠慢とみて処分を検討しているとした。
 水窪中の改築は合併前の平成16年度から17年度にかけて。約3600立方メートルの残土が生じ、同町の公共残土処理地に運ぶはずだったが、町道改修中などのため、同町の他の仮置き場に搬入した。防災担当部署の指示で、本来の処理地へ17年12月までに再移動させたが、再移動は予算措置されておらず、経費支払いが放置された。


水窪出身で、
水窪中にいたこともある人間の一人として、
無視できないニュースだなと思った。

水窪中が老朽化などもあって立て直していたのは知っていたけど、
その際にこんな不手際があったとは。

ちょっと恥ずかしい。

町にお金がなくて払えないのかと、最初は思ったけど、
そうではなさそうなので、そのへんはまあほっとした。



私が通っていたころも、水窪中学校は古かった。

更には裏がお墓になっていて、
よるとか遅くまで残っているとかなり怖かった。

火の玉を見たとか見ないとか、
そういうウワサを良く聞いたな。

改築されても、裏がお墓だということは変わらないけど。



期間としては一年しか通っていなかったけど、
いろんな思い出を思い出す。


ラベル:水窪 ニュース
posted by もり at 22:19| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 水窪名所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月14日

しっぺい太郎の墓

塩の道沿いの辰之戸にある足神神社のすぐ前に民話の霊犬「しっぺい太郎」の小さな碑が建っています。


「しっぺい太郎」は磐田市見付天神と信州駒ヶ根、光前寺に昔から語り伝えられている民話です。




その昔、遠州見付の天神様では、毎年8月10日の夜、白木の箱に娘を納めてイケニエとして怪神に供える習わしが続いていました。

ある夜、イケニエを捕りにきた怪神から「このことは信濃のしっぺい太郎にしらせるな」との声を聞いた旅の僧がこっそり光前寺のしっぺい太郎を借りてきて、祭礼の夜、ひそかに娘の代わりにしっぺい太郎を箱に入れて備えました。

しっぺい太郎は、怪神との大格闘の末、退治し、以来イケニエの習わしは絶え、里人は大いに喜びました。

しかし、しっぺい太郎も深手を負い光前寺へ帰る途中、哀れにも、この碑のある地で息絶えたといわれています。


(以上、水窪まるごとガイドより抜粋。)




私はこの碑を、遠足かなんかで見に行った覚えがある。




悲しげな民話だと思うけど、
死んだ場所とかまで存在するなんて、いやにリアルな気もする。

実は意外に真実の部分もあったりして?
posted by もり at 14:05| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 水窪名所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月12日

足神神社

青崩峠の街道に建つ足神神社はその名の通り、足の神様、として知られています。


時は鎌倉時代、諸国行脚のため、この地を通りかかった北条時頼が足を痛められ、
これを村の神官が親切に治療しました。

これに感激した時頼の命により、神官亡き後、村人たちが足神神社としてお祭りしたものと伝えられています。


塩の道でももっとも難所の青崩峠を越える昔の旅人が一心に「足神様」に旅の無事を祈願する素朴な姿が目に浮かびます。


最近は噂を聞きつけて全国から足の病を持つ人や、
足を痛めたマラソン選手、
またはJリーガーまでが訪れて拝み賑わっています。


(以上、水窪まるごとガイドより抜粋。)




私も、陸上部だったころこの神社に何度かおまいりし、
使い古した靴を供養してもらったりしました。




茨城県の「足尾山」にも、
似たような言い伝えがあるようで、
足神様といのは、全国にぽつぽつとあるようです。

http://yama-machi.beblog.jp/sakumab/2009/05/post-19ae.html


足神様が紹介されているサイトやブログ記事。

http://www.k4.dion.ne.jp/~daturyok/sizu/sonota1/asi.html


http://mitchan.ojaru.jp/ashigamisama.html


http://dandy.hamazo.tv/e1537590.html

http://g-w.cocolog-nifty.com/happy_place/2009/06/post-e230.html

http://kazenosenritu.at.webry.info/200901/article_8.html

http://kdy.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_12c3.html

足神神社の近くには、
きれいな水が湧くところがあります。

http://kitaro.hamazo.tv/d2007-03-30.html

http://isiya.hamazo.tv/e245553.html
ラベル:水窪 神社
posted by もり at 11:38| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 水窪名所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月09日

山住神社

山住神社の祭神は大山祗命と熊野大権現の2柱で和銅2年(709年)伊予の国(愛媛県)大山祗神社より移し奉ったと伝えられています。



山住家23代当主山住大膳亮茂辰は元禄年間に紀伊熊野より杉の苗木36万本を運びこの地方一帯に植林し「山住杉」として評価され林業の基礎を築きました。



この山住神社には、徳川家康が奉納した二振の刀剣が宝物として納められており、これは家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れたあと、天正4年に奉剣し「丑寅の鎮守」として心をこめて信仰したものです。
敵、信玄の居城である甲府つつじヶ崎が丑寅の方向にあることから、これを鬼門として、その守り神山住神社を信仰したものと古文書(片桐文書)で伝えられています。



山住神社は地元はもとより三河・南信州・遠州の信者も多く毎年4月17日と11月17日の春秋2回の例大祭には多数の参拝者が訪れにぎわっています。



(内容はみさくぼまるごとガイドより抜粋させていただきました。)




著者:宮崎林司
 出版社:協同出版
 サイズ:単行本 / 245p
 発行年月: 2004年 05月
 本体価格:1,200円 (税込:1,..

ラベル:山住神社 水窪
posted by もり at 15:54| Comment(0) | TrackBack(1) | 水窪名所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月08日

高根城

高根城は、
水窪町の東南端の通称三角山と呼ばれている久頭合(くずごう)の山頂、標高420mに位置しています。


高根上は、南北朝時代、
後醍醐天皇の孫尹良(ゆきよし)親王を守るためにこの地の豪族である奥山金吾正定則が応永21年(1414年)に築いたといわれています。


この城は、
近くを流れる河内川が水窪川に合流する地点の自然の堀を利用した山城で、
ここから一望できる水窪川の対岸には、奥山氏が親王のために仮宮を建て、
ここを内裏(大里)といい、御旗を掲げられたところを小畑として地名が残されています。


時代は南北朝から戦国時代と移り、
この地域に権力を及ぼしていた今川義元も桶狭間の戦いによって斃れ、
三河の徳川家康、甲斐の武田信玄の力がこの地に及ぶことになりました。


そして、永禄12年(1569年)高根城主民部少輔貞益の時、
信州遠山郷の遠山土佐守に攻められ落城しました。


高根城落城後、
元亀3年(1572年)甲斐の武田信玄は2万5千の大軍を率いて青崩(あおくずれ)峠を越して上洛の途上、三方原で徳川家康と戦い勝利を治めています。
このころ高根城は、武田の手が加わり、遠江侵攻をめざす武田軍の拠点として大改修が行なわれていたと考えられます。




水窪町では、
平成5年「整備計画策定委員会」を作り、県文化課の指導援助のもとに高根城を中世の城として復元整備すべく、発掘調査を行なっています。

その結果、現存されている遺構は武田氏独自の築城技術が駆使されていることがわかり、
また曲輪(くるわ)、堀切り等の遺構が良好な形で残されていることが明らかになりました。




その後、平成7年には整備委員会が発足し、
発掘調査に基づいて本曲輪部分に井楼櫓(せいろうやぐら)、土塁、城門等が、
また、ニの曲輪、三の曲輪には、堀切・各曲輪を接続する城内道等が復元されました。


さらに城の周辺は高根城公園として整備されています。




(記事内容は「水窪まるごとガイド」によります。)






下記は、写真つきで高根城が紹介されているページです。

http://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/totoumi/shiseki/hokuen/takane.j/takane.j.html


http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/tokai/takane.html


http://homepage2.nifty.com/siro6966/umanen3sizuoka49takane.html


http://www2u.biglobe.ne.jp/~ture/takanejousitoutoumi.htm


http://www.chance.ne.jp/tcn/kanko/hama/takanejo.html


http://okaken.hamazo.tv/e2002553.html

最近の高根城の写真がたくさん載っているブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/th0828jp/22873639.html



ラベル:高根城 水窪
posted by もり at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 水窪名所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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