2007年08月08日

高根城

高根城は、
水窪町の東南端の通称三角山と呼ばれている久頭合(くずごう)の山頂、標高420mに位置しています。


高根上は、南北朝時代、
後醍醐天皇の孫尹良(ゆきよし)親王を守るためにこの地の豪族である奥山金吾正定則が応永21年(1414年)に築いたといわれています。


この城は、
近くを流れる河内川が水窪川に合流する地点の自然の堀を利用した山城で、
ここから一望できる水窪川の対岸には、奥山氏が親王のために仮宮を建て、
ここを内裏(大里)といい、御旗を掲げられたところを小畑として地名が残されています。


時代は南北朝から戦国時代と移り、
この地域に権力を及ぼしていた今川義元も桶狭間の戦いによって斃れ、
三河の徳川家康、甲斐の武田信玄の力がこの地に及ぶことになりました。


そして、永禄12年(1569年)高根城主民部少輔貞益の時、
信州遠山郷の遠山土佐守に攻められ落城しました。


高根城落城後、
元亀3年(1572年)甲斐の武田信玄は2万5千の大軍を率いて青崩(あおくずれ)峠を越して上洛の途上、三方原で徳川家康と戦い勝利を治めています。
このころ高根城は、武田の手が加わり、遠江侵攻をめざす武田軍の拠点として大改修が行なわれていたと考えられます。




水窪町では、
平成5年「整備計画策定委員会」を作り、県文化課の指導援助のもとに高根城を中世の城として復元整備すべく、発掘調査を行なっています。

その結果、現存されている遺構は武田氏独自の築城技術が駆使されていることがわかり、
また曲輪(くるわ)、堀切り等の遺構が良好な形で残されていることが明らかになりました。




その後、平成7年には整備委員会が発足し、
発掘調査に基づいて本曲輪部分に井楼櫓(せいろうやぐら)、土塁、城門等が、
また、ニの曲輪、三の曲輪には、堀切・各曲輪を接続する城内道等が復元されました。


さらに城の周辺は高根城公園として整備されています。




(記事内容は「水窪まるごとガイド」によります。)






下記は、写真つきで高根城が紹介されているページです。

http://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/totoumi/shiseki/hokuen/takane.j/takane.j.html


http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/tokai/takane.html


http://homepage2.nifty.com/siro6966/umanen3sizuoka49takane.html


http://www2u.biglobe.ne.jp/~ture/takanejousitoutoumi.htm


http://www.chance.ne.jp/tcn/kanko/hama/takanejo.html


http://okaken.hamazo.tv/e2002553.html

最近の高根城の写真がたくさん載っているブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/th0828jp/22873639.html





ラベル:高根城 水窪
posted by もり at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 水窪名所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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